現代倫理観無双とは、現実世界で生活していたキャラクターが転生・転移などで異世界にわたり、そこに住まう人々を(元の世界の倫理観を基準に)言い負かすことである。(1)
異世界ものにおけるキャラクターは(元いた世界の現代倫理観に従って)異世界にある国の奴隷を解放するよう振舞ったり、男女で扱いの異なる風習を打破しようとしたり(特権を排し)身分ではなく能力で取り立てたりするのであるが、一方で時代背景・文化基盤・世界設定が異なるのだからそこに現代倫理観をもちこむのはナンセンスだと揶揄されることもよくある。(2)
ここで、異世界に移るキャラクターと読者が同じ(又、似たような)世界にあったことに注目してほしい(そうでなければ、現代倫理観の共有はなされないからである)。そのキャラクターは異世界の住民を言い負かし(1)読者は(創作の欠点としてよく知らぬだろう)作者を言い負かしており(2)どちらも現代倫理観を基準に行われる点で両者はほとんど同じである。
これはいかにも作為的である。作者は自分の創作に現代倫理観無双をあえて取り入れることによって読者・作者のいる現実世界の倫理観の見直しを図ったのではないかと思われる。それというのも、読者がある創作を現代倫理観に従って批評するならば、歴史・文献を参照するなどして(例えば奴隷制の敷かれていた国・時代・文化など)当時の倫理観を明らかにすることで現代倫理観を見直すことになるだろうからだ。反対に批評しない読者はそれが異世界であることをわきまえているのであって、作者にとってはそれはそれで悪くないのである。そうして創作における言い負かしを言い負かしていた読者がじつは作者に負かされていたという逆の見方もできてしまうのだ。そしてそれもまた言い負かしの系列なのである。
以上、考えすぎだったかもしれないが、一々を欠点だとして思い煩うことがなくなればよい。創作とは読者と作者の化かしあいなのだと誰かが言っていた。